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 私が星野村に移住した本当の理由(1)   

35年ほど前、私は神戸三宮で小さな写真スタジオを開いていた。
ある日、突然中村修さん(韓国朝鮮児童文学研究家)が訪ねてこられた。
ハングルを勉強をしていた時の大先輩だった。
中村さんは当時は中学校の先生をなさっていた。 

 
当時の新聞記事の切り抜きです。新聞名は忘れました。 
ウィキペディアに掲載されています https://ja.wikipedia.org/wiki/仲村修 私にこうおっしゃった。「生徒に写真を教えてほしい」 私は写真に感動をなくしていた。「シャッター以前」に苦悩していた。 技術は教えることはできる。だが写真にとって大事なことは技術ではない。 私はお断りした。 しばらくして又来られた。再度、同じ依頼だった。 生徒のために私に深々と頭を下げての依頼だった。 こんども私はお断りした。 私は悩んだ。 中村さんの勤務校の長峰中学校へ行ってみた。 とりあえず学校を見ておきたかった。 わが家から車で5、6分だっただろうか、 怖いほどの急な坂道を登った高台にあった。 校門の前で車を止め、しばらく思案していた。 そしてそのまま帰った。 当時の私は、椎名麟三の表現を借りれば 「暗夜の中を羅針盤をなくして漂っている難破船」だった。 その後、私はスタジオを閉じて出張撮影や友人の写真館の 手助けなどをしたりした。 母親が歩行困難になり、5年間介護に専念した。 母親を見送った後、私は老人介護ボランティを しながらホームヘルパー(週1回)をした。