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私が星野村に移住した本当の理由 (3)
  
     村へ移住後、少し落ち着いてから、藤崎正昭氏に会いに役場に寄った。
     藤崎氏から写真同好会の中心メンバーの職員を紹介された。
     彼はいっぱしの写真家気取りだった。私を蔑みながら
     「写真同好会に参加して、ぜひ写真のご批評をお聞かせ願いたい」
     と皮肉たっぷりの口調で私にいった。
     「批評など、とんでもない。私が言えるのは好き嫌いだけです」と答えた。
     そして「世界的な名作写真集をたくさんもっています。ぜひ、観に来て
     ください」といって、HPアドレス記載の名刺を渡した。
 
     写真同好会からの誘いはなかった。
     写真集を観たいと訪ねて来た人は一人もいない。  

     藤崎正昭氏にいった。
     「写真を中学生に教えたいので校長に紹介してほしい」と。
     藤崎氏は教育委員会に図ったほうが手っ取り早いので教育委員会に話を持
     っていくという。「賞を取りましたか?」と質問された。
     私は否定し「そういうものには興味ありません」と答えた。     
     あきれた! そんな顔をした。

     1999年、まだ村にはパソコンが普及していない時代だった。
     趣味でパソコンを使用している家庭は皆無に近かったのでは。
     私は子供たちのために安いパソコン2台を購入した。
     当時大人気のiMac と IBMのaptiva E Series
     映像はマッキントッシュといわれてた時代だった。
     初めて安価なMac が初心者用に発売されたところだった。
     写真仕上げのためにマックの基本を教えたかった。
     ウィンドウズもこれからは必須だと思った。
     
     休校日には我が家に子供たちが訪ねて来てくれると確信があった。
     キーボードのタッチ練習やインターネットを皆で楽しみたかった。
     我が家は村はずれ、村の中心からは車で10分弱かかる。
     緩やかではあるが坂道1〜2時間ぐらい歩いてくるのも運動。
     もっと遠ければ、また体力がない子は、親に車で送ってもらえばいい。
     帰りは私が送る。人数が多ければ2〜3回往復すればよい。

     連絡を待っていた。
     ところが藤崎正昭氏からも教育委員会からも連絡がなかった。
     3ヶ月経っても連絡がなかった。

     それでは、と
     私は隣村の前津江村中学校を訪ねた。
     教頭が応対した。
     子供たちに写真を教えたい旨、語った。
     教頭に尋ねられた。「謝礼は幾らぐらいですか?」と。
     「そんなものは要りません」と私ははっきりと答えた。
     明日返事させてもらいます。とのことだった。
     HPアドレス記載の名刺を渡して辞した。
     その後、連絡がない。

     藤崎正昭氏にホームヘルパーの仕事を依頼した。
     2年間仕事をしていないという理由で断られた。  
     この時、藤崎正昭氏は福祉課の課長。