西 成 署 員


 

機動隊員 1986年8月14日 三角公園でお祭りが催されるとの新聞記事を見て、 私はカメラを持って出かけた。 釜ヶ崎についてすぐに機動隊が目についた。 離れた位置からシャッターを切った。 いきなり数人の機動隊員にとりかこまれた。 「お前、なぜ写真を撮った!」と怒鳴りつける。 まるで愚連隊に因縁をつけられてるよう。 「写真を撮っていいと思っているのか!」 「今撮したフイルムを出せ!」と怒鳴りつける。 断るといきり立って「住所と名前をいえ!」と怒鳴る。 怒鳴るだけでは効果がないと思ったのか 「お前ちょっとこっちへ来い!」という。 人目のない路地へ私を引っ立てるつもりだったのだろう。 幸いにも連絡をうけたチンピラ警官の上司が急ぎ足で駆けつけてきた。 粗暴なチンピラ警官とは違って穏やかな上司だった。 私は云った。「私が何か法に触れるようなことをしましたか?」 その上司は「名前や住所ぐらい云ってもいいではないか」と穏やかに云う。 「神戸から祭りの写真を撮りにきた。」とだけは説明した。 それ以上のことは私はいっさい云わなかった。 「名前や住所ぐらい云ってもいいではないか」 「何か法に触れるようなことをしました?」 いつまでも、同じ問答のくり返しで、私はいらいらしてきた。 祭りはすでに始まっている時刻であった。 バッグの中を見せてほしいという。 触らないという条件で、チャックを開けて中を覗かせた。 カメラの道具以外なにも入っていない。 やっと解放された。 ようやく公園に着き、写真を撮っていると、「あんたは何者だ」と 一人の男に詰問された。またかと私は腹が立った。私はいった。 「あなたに名乗らないと撮影はできないのか!」 彼も腹を立て「この祭りは我々実行委員がやっているんだ!」という。 これは私が悪かった。お詫びし説明した。 一人の男性が近づいてきて云った。「写真を撮るならもっと面白いものがあるよ。 公園の回りを見渡してごらん。目つきの悪い連中がいるだろ。あれみな刑事だよ。」 私は驚いた。信じられなかった。カメラを構えると連中はうつむいたり、後ろをみたり、 木や電柱の後ろに身を隠す。 刑事が数十人も公園の回りで、祭りを楽しんでいる労働者を犯罪者として、監視しているのである。 税金泥棒        真冬の深夜、西成労働センターの回りで青カン(野宿)しているホームレスの人々に 30人ほどのボランティアが毛布の配布や健康状態の聞き取りなどの活動をしていた。 その近くで装甲車を止め、警察官が監視していた。 突然「通行の邪魔になるので解散しなさい」とスピーカから語気強い命令が聞こえた。 今は真夜中である。通行人などいやしない。 もし、通行人がいたとして邪魔になるのは、装甲車であり、その横に張り付いている警察官自身 ではないか。 寝静まっている深夜にスピーカを使うなどもってのほかである。 警官たちは、ホームレスの人々が死ぬことを願っているのか。怒りの投石を期待しているのか。 投石があれば、お得意の警棒でひと暴れできる。 寒さしのぎにもってこいである。 一瞬のどよめきの後、ボランティアたちは蔑みの一瞥をしただけで、無視して活動を続けていた。 ホームレスの一人が私に吐き捨てるようにいった。「 あいつら、税金泥棒や!」 (1988年) しのぎ 釜ヶ崎では、夜、歩行者の後頭部を棒やレンガなどで殴るしのぎが横行していた。金品を奪うこともあった。 毎夜のように犯罪が行われていると聞いた。何人も死んでいるとも聞いた。西成署に訴えても相手にされない。 それどころか、訴える労働者に前科が ありはしないかと根ほり葉ほり詰問されるという。 真冬の深夜、ボランティアの集団が騒いでいた。たった今老人がしのぎに傘の先端で目を突かれたという。 くの字になって老人が道に横たわっていた。老人の発する絶望の大きな鼾を聞きながら私は恐怖で小さく震えていた。           (1988年)     西成署は、釜ヶ崎の日雇い労働者を人間として扱わない。だから殺人でも被害者が日雇い労働者なら事件にはならない。 故に報道されない。 1992年の暮れ、しのぎが釜ヶ崎の外で犯行を行った。マスコミは「ノックアウト強盗」と名付けて大きく報道した。 ワイセツ警官 夜間ボランティア活動していた高校生の女性がパトカーから卑猥な言葉を投げかけられたことをカトリックのシスター から私は聞いた。(1988年) 拷問              西成署の取調室で焼き火箸での拷問が行われていると真剣な表情で私に訴えたホームレスの人がいた。(1987年)     「どうしてわかるの?」私は尋ねた。一瞬戸惑い「西成署の南の路地を歩いているとよく悲鳴が聞こえる。」という。 悲鳴で焼き火箸の拷問と分かるわけはない。また、悲鳴のことは私は耳にしたことはない。 私は彼自身がやられたのだと思った。 何か小さな罪で逮捕され、余罪の追及のために拷問されたのだと私は思っている。 ホームレスの人は訴える場がない。まして小さくても犯罪を犯したとなると。