文化財保護委員会の小山富士夫技官が、折入ってお話し
たいことがありますので、といつになく更った電話をした
上で訪ねてきた。
委員会では、陶藝の重要無形文化財の指定対象の一人と
して、あなたを挙げている。受けてもらえるだろうか。こ
れが来訪の趣旨であった。
俗に「人間国宝」、重要無形文化財の制度は昭和三十年
に始まった。それが、いわゆる優秀な伝統技術の保持者へ
の、国家による権威づけであり、保護であることは、書く
までもない。年金を給せられる他、種々の恩典も受けられ
る。
陶藝の分野で、第一回の指定を受けた者は三人あった。
石黒宗麿、荒川豊蔵、濱田庄司である。
魯山人は、当然ながら指定を受けた人々も指定制度をも、
ののしっていた。そのことを、小山も亦聞き及んでいた。
「いや、俺は受けたくない」
魯山人は、小山の話をきき終ると、そういった。
(中略)
永井荷風も富本憲吉も、藝術院会員は辞退したことがあ
るが、文化勲章はよろこんで受けた。柳宗悦も、文化功労
者というものを受けた。彼らは平素、反官的態度を露わに
していた人物である。
自ら”野人”を以て称し、世間もそういう眼で見ている
工藝家で、無形文化財や藝術院会員の制度に悪罵を放ちつ
づけながら、実はかげではそれを受けるために策動これ努
めている例もある。(p322)
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