白崎秀雄「北大路魯山人」

文藝春秋 昭和46年4月5日 第一刷


一部抜粋

文化財保護委員会の小山富士夫技官が、折入ってお話し たいことがありますので、といつになく更った電話をした 上で訪ねてきた。 委員会では、陶藝の重要無形文化財の指定対象の一人と して、あなたを挙げている。受けてもらえるだろうか。こ れが来訪の趣旨であった。 俗に「人間国宝」、重要無形文化財の制度は昭和三十年 に始まった。それが、いわゆる優秀な伝統技術の保持者へ の、国家による権威づけであり、保護であることは、書く までもない。年金を給せられる他、種々の恩典も受けられ る。 陶藝の分野で、第一回の指定を受けた者は三人あった。 石黒宗麿、荒川豊蔵、濱田庄司である。 魯山人は、当然ながら指定を受けた人々も指定制度をも、 ののしっていた。そのことを、小山も亦聞き及んでいた。 「いや、俺は受けたくない」 魯山人は、小山の話をきき終ると、そういった。 (中略) 永井荷風も富本憲吉も、藝術院会員は辞退したことがあ るが、文化勲章はよろこんで受けた。柳宗悦も、文化功労 者というものを受けた。彼らは平素、反官的態度を露わに していた人物である。 自ら”野人”を以て称し、世間もそういう眼で見ている 工藝家で、無形文化財や藝術院会員の制度に悪罵を放ちつ づけながら、実はかげではそれを受けるために策動これ努 めている例もある。(p322)