哀しい話 

朝早くから夕日が落ちるまで,ただひたすら農作業に明け暮れていた花子(仮名)さん。 寡黙で、隣組の集会にも雑談に加わらず、いつも黙って聞き手になっていた花子さん。 自分の田畑だけでなく、人の田畑の農作業も手伝っていた。背骨がS字に曲がっていた。


2009.6.2


来る日も来る日も一日中まるで憑かれてように働いていた


2010.7.5




3
妹さんと農作業を終えて。 2010.10.1

花子さんには娘さんが三人いた。二人は村外に嫁いで行った。 長女のN子さんと二人で暮らしていた。N子さんは勤めに出ていた。 花子さんは数年前から認知症の症状をみせるようになった。 N子さんは勤めを辞め介護に専念した。献身的に介護しておられた。 そのN子さんがこの夏に突然救急車で病院に運ばれた。ガンだった。 花子さんは村外の娘さんの家で介護されることにになった。 花子さんは生まれてこのかた自宅以外で生活したことがなかった。 結婚は婿取婚だった。「家に帰る」と言って聞かなかったという。 認知症がすすみ、娘さんは手に余り病院に入れた。 花子さんにはごく近くに嫁いだ妹さんがいた。 妹さんと一緒に野良仕事をしているのをよく見かけたものだった。 その妹さんが「見舞いに行くと帰ると言うだろうから見舞いに 行かない ・・・ 姉さんがかわいそう」と涙を流した。 私はN子さんのお見舞いに行った。 女性として辛く哀しい臓器摘出の手術にも気丈に耐えて 明るく私に応対してくれた。   数年前に撮った花子さんの笑顔の写真を差し上げた。 写真を見て急に泣き出した。 私は無神経なことをした気がした。 N子さんが退院した。 しばらく家で養生してからもう片方の摘出手術をする予定。 「予定より早く、今日入院することになりました」と挨拶に見えた。 明るい笑顔を見せてくれた。 まだ連日の猛暑が続いていた。早く入院できてよかったと思った。 手術後8日してお見舞いに行った。 手術に6時間かかったとお聞きした。 明るかった。お元気だった。順調に回復しているように見えた。 花子さんのことが気になってるが聞くことはできなかった。

以前、N子さんに私の介護体験からこんなことを言ったことがある。 「出来るだけお母さんの手をつないであげてほしい。もし顔の記憶を なくすようなことになっても、手の感触は覚えているものですよ」。 散歩のとき、N子さんが手をつなごうとすると嫌がったという。

そして一昨日退院した。家事を一人でなさっている。 近々抗がん剤治療が始まるという。副作用が心配。

2013.9.7