私がこの村に来た本当の理由 (2)   
1998年
神戸を離れて生活したい欲求が起き、いろいろ迷った末、見つけたのが星野村だった。
星野村役場の担当者に以下の稚拙な手紙を書いた。
「ホームページをご覧ください」の添え書きとホームページアドレス記載の名刺を同封した。

     前略
     突然の不躾な手紙、申し訳ありません。
     私は星のきれいな山村で生活したいという願望をもっている56歳の独身者です。     
     インターネットで「田舎暮しネットワーク」の「移住者受け入れ情報」を読み、     
     星野村に強く心引かれました。もし気に入った空き家をお借りすることができま
     したら星野村に移住したいと思っております。     
     運良く移住できましたら、生業として私はホームヘルパーを希望しております。
     五年間寝たきりの母親の介護をした経験を役立てたいとヘルパーの資格(2級)
     をとっています。残念ながら私も年老いてヘルパーとして働ける年月は残り少な
     くなっていますが、、、

     私は長年写真を生業としてきました。私には写真を教えたくも教える我が子がい
     ません。星野村の子供たちに写真を教えたいと思っています。星野村の四季折々
     の風景を、村の人々の生活を、動物を、昆虫を、草花を子供たちと一緒に撮影し
     ていきたいと思っています。

     こんな私ですが星野村の住民として受け入れていだけますでしょうか。
     お返事いただけますと幸いです。
                              早々
     十月二十五日
                   藤崎正昭 様

                                  桑島孝之
     村から了解の電話がかかってきた。住まいの希望を尋ねられた。
     「撮影機材がたくさんあるので大きな家を」と希望を述べた。
     畑に関しても尋ねられたので、畑付きの家がいい。と答えた。
     空き家はよりどりみどり、たくさんある。そんな印象をうけた。

     そして約束した日に星野村を訪ねた。
     まず役場に寄った。受け付けの女性職員は露骨に蔑んだせせら笑いを
     顔に浮かべた。藤崎氏の部下が応対した。彼も蔑みを隠さなかった。
     彼はいった。「HP見ましたよ。大人を教えたらどうですか!」
     子供しか教えられないのか!という強い蔑みを感じた。

     彼の部下に民家を案内してもらった。村はずれだった。
     台所の屋根が雨漏りして、床全体が腐って抜け落ちていた。
     流しは傷みがひどく使いものにならなかった。畑はなかった。
     たくさんの部屋数の大きな二階建ての古い民家だった。

     もう一軒案内してもらった。小さな平屋の廃屋同然だった。
     問題外だった。案内役の若い職員は感じがよかった。

     大きな民家の家主の連絡先を教えてもらった。家主と会ってすぐに話は
     ついた。買い取ることにした。都会では考えれない安価だった。

     そしてこの村に引っ越してきた。

     「どうしてそんな山奥に引っ越したの? 村の中心に空き家がいろいろあるのに、、」
     と教えてくれた女性がいたことを付け加えておきます。