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私が星野村に移住した本当の理由(7)

2008年 藤崎正昭村長に代わり、高木良之村長が誕生した。 私は役場に高木良之村長を訪ねた。そしてこの村へ来た経緯を語った。 村の長として、当然に謝罪があるものと思っていた。 だが、なかった。それどころか話をさえぎって 「何がいいたいんだ! 子どもに写真を教えたいのか!」と蔑んで語気強く言う。 私は唖然とした。そしてうなずいた。 高木村長は教育長に連絡をとるために村長室を出ていった。 私に聞かれたくない内容の電話に違いない。   そして指図通りに教育委員会へ行った。 教育長室に案内され高木清一郎教育長に会った。 細かいやり取りは覚えていない。 覚えている要点だけを記します。 若い頃の私の作品。子ども写真を見せた。 私の子どもへの思いが写真で伝わると思った。 伝わらなかった。写真をちらっと見ただけだった。 高木教育長はこどもの世界にはまったく関心がなかった。

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19歳(1961年)のときの作品。ひたすら子ども写真だけを撮っていました。
私にとって写真の原点です。

「写真の何を教えるのか!」と訊かれた。   「写真の楽しさを教えたい」と答えた。 そして「こどもたちに写真の名作を見せてあげたい。」といった。 私の子供写真を指差し「それを見せるのか!」と蔑んでいう。 私は返事しなかった。 「小学生に教えないのか」と訊く。 「私には小学生に教える能力がありません」と答えた。 「私は子どもたちに写真を教えることに人生をかけた。 今頃、たくさんの写真家が生まれてたに違いない。」 そんなことを私はいった。高木教育長はせせら笑った。 クラブ活動として写真を教えたい旨を語った。 高木教育長はいった。 子どもたちは忙しい。時間がない」。 これが高木清一郎教育長が私の申し出を断った理由である。 もう何をいっても無駄だと悟った。 私は「貴重なお時間を取らせました。」といって部屋を出た。 このあと いろいろと書こうとしていましたが、つよい疲労感に襲われて、、、 そのうちに書くつもりではあります。書きたいことは山ほどあります。

長文最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。

m(_ _)m