説明しない医者

この春、私は脳出血で八女郡広川町の馬場病院に20日入院した。 院長は私に何も説明しない。朝の回診時、院長は黙ったまま手の 指の開け閉めして私に同じようにやれと暗黙に命ず。私は指を動 かした。次に「足」という。足の屈伸を見て、そのまま何も言わ ずに部屋を出て行く。 10日ほど経って私は院長に言った「一度、CT,MRIの写真で症状 を説明してほしい」 一瞬の間の後、「わかった」とだけいった。 3日後、再度CT撮影をした。その後、喚ばれて診察室へ行った。 院長はCT写真を見せて、「まだ腫れている」それだけ言うと席を 立ち部屋の奥へ行った。私はキョトンとした。こんな説明があるか! 看護師に促されて部屋を出た。 院長の回診時に「構音障害はいつ治りますか?」と問うた。 「わからん」と一言。 私は院長への怒りを看護師に聞いてもらった。 彼は私が構音障害を気にしていると院長にいってくれた。   翌朝回診時に「構音障害は治るのは難しい」と一言だけ。 構音障害:発音が正しく出来ない症状。 退院に関しても、何も言わない。退院の日にお金の精算したときに、 20日ごとに通院するようにと受付の職員から説明されただけ。 通院時の診察で尋ねた。「降圧剤はいつまで飲むのですか?」 「一生」という。驚いて聞いた。「副作用が出たときは?」 「じゃ、止めたらいい」という。止めていい薬を一生飲むのは納得いかない。 退院3ヶ月で徐脈、頻尿という副作用が出た。薬を止めた。通院も止めた。 もちろん連絡していない。薬を止めたら頻尿は治った。徐脈は治らなかった。 そのときの服用降圧剤は「ブロプレス錠8」 隣町の友達感覚で話ができるS医師に診察を仰いだ。心電図検査の結果、徐脈 は心配いらないが血圧が問題とのこと。脳出血の発症は脳の血管がもろくなっ ているのが原因。いつまた発症するかもしれない状態。薬で血圧は低く低く抑 えていないと危険だと教えられた。驚いた。こんな大事なことを患者に説明し ない医者がいることが信じられない。 病院名を書く事に迷ったが、病院選びの参考にしていただくために記す事にした。 また、院長に猛省を促したい。 病院の善し悪しは医者だけで決まる訳ではない。私はこの20日間の入院生活は快適 に過ごさせてもらった。看護師はじめ病院スタッフの心配りの私は感謝している。 院長は医療技術は優れているのだろう。だけど精神性は恥ずべきものだと思う。


松田道雄は以下のように述べています。

「生きること•死ぬこと」 松田道雄 筑摩書房 (1980年5月20日初版)

医者は患者と対等ではない。医者は治療の内容に説明をもとめることをゆるさない。 学界で有名な医者にふつうの人間はみてもらうことはできない。診察室にのこってわ からないところをたずねようとしても看護婦に追い出される。医者は権威をもってい るのである。 明治政府が上からの革命として文明開化をおしすすめたなかに、医学教育も組み込ま れたところに、日本の医者の患者にたいする態度が宿命的にきまってしまったといえ る。ドイツ医学が帝国大学でおしえられ、西洋の医療を国家の権威によって普及させ たことが、患者にたいする医者の愚民意識を同時にそだてた。 (中略) 大学病院では患者のことをマテリアルといった。 (中略) 帝国大学で医者になったものが、地方の医学専門学校の教授になったり、地方公立病 院の院長になったりして医療の「近代化」をすすめたことが、患者の人権無視を医者 の体質にしてしまった。患者に治療の内容を説明するなどということは、医者にとっ て思いもよらなかった。原料と人間との対話などというものはありえない。戦後の民 主主義になっても、この風習は大学からぬけきらない。患者に治療のような顔をして 人体実験をする研究が大学でつづけられるかぎり、患者はマテリアル以外のものでは ない。