あれはパソコン操作していたときだった。
急に左手の指が動かなくなった。力が入らなくなった。
あれ!変だな? そんな程度の認識だった。
数分してトイレに行き部屋に戻ろうとして転けた。
立ち上がろうとしてまた転けた。左足に力が入らなかった。
ようやく異変に気づいた。脳裏に「脳溢血」と言う病名が浮かんだ。
家庭医学書を開いた。
「脳の出血した側と反対側の半身不随(方まひ)の状態になり、、、」
「一刻をあらそって手当をしないと危険」と書いてあった。
私は思案した。どこの病院に行けばいいのか。
近所に同じ症状で入院なさった方がいらっしゃることを思い出した。
すぐにその方の家に行った。
左足に力は入らないが、体を支えることはできた。
気をつけてゆっくり歩けば転ばなかった。
その方が入院したと言う病院は私には悪印象しかなかった。
良い病院の情報は得られなかった。
「桑島さん、どうしたの? 口からよだれが出てるよ!」
「どうも脳溢血らしい」と回らない呂律(ろれつ)で言った。
「大変だ、救急車!」
その直後の記憶が欠落している。
帰宅したら、近所のご婦人が5人ほど心配して駆けつけて下さった。
救急車の手配もして下さった。
私は保険証と現金2万円だけをポケットに入れた。
入院の用意をする余裕がなかった。
救急車が到着した。
玄関から出たとき、尋ねられた。
「玄関の鍵は?」
「金目のものはないから、鍵はいいです」
私は家に鍵をかけたことがない。
「これ持って行って!」と大きなバッグを持たしてくださった方がいた。
中にはタオルケット、歯ブラシセット、小物入れ等が入っていた。
退院時にバッグが特に重宝した。
ストレッチャーに乗って救急車に運ばれた。
救急車の中で「希望の病院ありますか?」と尋ねられた。
「いいえ」
「K病院でいいですか?」整形外科では定評ある病院だった。
うなずいた。隊員がK病院に連絡をとった。
「今、ベッドが空いていないそうです。B病院でもいいですか?」
B病院の名前だけは聞いたことがあるが、よく知らない。
救急隊員にまかせるしかない。私はうなずいた。
隊員が血圧測定してくれた。
血圧 200を越えていた。
病院近くで再度測ってくれた。150台に下がっていた。
横になっていたのがよかったのでしょう。
病院に着くと、スタッフ数人が待ち構えていた。
すぐさまCT、MRI撮影が始まった。
そして病室のベッドに移されて、点滴治療が始まった。
発症してから、2時間かかっていなかったと思う。
夕方に二人の女性(区長のつれあい、民政委員)が来て下さった。
病院には売店がなかった。
下着等の入院生活での必需品を買ってきましょうと申し出て下さった。
ありがたかった。本当に助かった。
翌朝には、左手の指が動いた。
4〜5日で一人でトイレに行けた。
入院10日には廊下をすたすた歩いてた。
ただ、呂律がいまいち回らなかった。
我が家に駆けつけてくださった女性一人一人に電話した。
治療の経過報告と感謝の電話。そのときに知った。
家に鍵がかかっていないことを気にしてくださった方が
家に入って中から鍵をかけて窓から外へ出たことを。
お年を召して背中が大きく曲がったご婦人だった。
窓から外へ出る姿を想像するとおかしさがこみ上げてくる。
その方に電話した。
「退院したら最初に寄ってちょうだい。どこから入ったらいいか教えてあげる」
大笑いした。二人して大笑いした。
構音障害(呂律が回らない)は治るのは難しいと院長は言った。
退院後、口を大きく開けて「あいうえお、、、」と声を出さずに発声(?)
訓練した。それ以外はガムを咬んだ。一日中口を動かしていた。
退院1ヶ月で構音障害は治った。(訓練方法は私の思いつき)
ご近所のご婦人方、八女市救急隊員さん、区長のお連れ合いさん、民生委員さん、
看護師さん、栄養士さん、リハビリ指導員さん、T.Nさん。
今元気に過ごせているのは皆様のお陰です。本当にありがとうございました。
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