松本恭一先生のこと
               
               カメラ雑誌等で活躍なさっていた松本先生が神戸で写真スタジオを
               なさっていることを知り、助手になりたいと思い訪ねた。(197?年)  
               どんな会話をしたのかまったく覚えていない。すぐにOKが出た。 

               スタジオにはアマチュアやプロの写真家が毎日出入りしてた。  
               私のことを笑いながらこんな風に紹介したものだった。
               「彼は年齢不詳の人物なんだ」
               そう、私は履歴書を出していない。  
               歳を尋ねられたが、私は言いたくないと答えなかった。 
               先生はお気を悪くはなさらなかった。     
                 
               松本先生と私は写真に求めているものが、まるで違っていた。  
               私は自分の求めているものを先生から見いだせなかった。 
               性格的に強く反発する部分があった。  
               3ヶ月で辞めるつもりでいた。 が、とても楽しかった。  
               強く反発しながらもとても楽しかった。笑いが絶えなかった。
               私に似て先生も子供っぽい一面があった。
               私はそんな先生がとても好きだった。
  
               スタジオには、来客(写真仲間)をビックリさせる小道具(びっくり箱の類)
               がいろいろ置いてあった。  
               来客が引っかかっては二人は大笑いして楽しんだものだった。

               ある時、肖像作品を先生が見てる横で私は偉そうに感想を述べた。
               先生はまじまじと私の顔を見つめた。それ以来、私を買いかぶった。
               先生が出張の時に、撮影依頼のお客があれば、私に写すようにと仰せつかった。
               「松本写真室」の撮影料金は神戸でもっとも高いと聞いていた。
               高名な先生に撮ってもらいたいといらっしゃったお客さんを、
               私ごとき新米が先生に代わって撮影できなかった。
               そのときは客に待ってもらうか、出直してもらうかしましょうと云ったが
               聞入れてもらえなかった。私に写せと強く命令された。
               幸い、先生の留守中は簡単は撮影の客だけだった。

               ある時、朝日カルチャーセンターの写真講師の依頼が先生にあった。
               月に4回も行くのは嫌なので私に月に1回行ってくれないかとおっしゃった。
               私が引き受けるならこの話は受けると。
               私はにべもなくお断りした。興味がなかった。
               何度も熱心に私に勧められた。私は不機嫌に断り続けた。結局先生は依頼を断った。
               今思えば先生のご厚意だったのに、そのとき私は感謝の気持ちを持たなかった。
        
               昆虫写真の草分け、佐々木崑さんが昔私のように突然、助手志願に来たと聞いた。
               辞めた後、東京へ出て木村伊兵衛の助手を経て、写真界で地位を築いた。
               崑さんが神戸に寄ったときは、よく松本先生と夕食をともにしていた。
               そうとう打ち解けた仲だったようだった。
          
               こんなことがあった。
               スタジオに行ったら、先生は二人の若者と話していた。
               なんだか気まずい雰囲気があった。すぐに外へ出た。
               若者が帰ったであろう時間を見計らってスタジオへ行った。
               以前、先生の助手をしてたことのある若者と聞いた。
               ニューヨークで個展をやることになったという。
               若者の名前を聞かなかった。
               最近、妙に私はその若者が気になってる。
                        

               「日本の写真史に何があったか」 -アサヒカメラ半世紀の歩み 1978/04/05/
               (アサヒカメラ増刊 第63第5号)
               の中に、松本先生の名前と写真が小さく載ってました。なんだか寂しい。
  

               地方作家として日本写真史に名を残して恥じない優れた写真家だと私は思っています。  
  
                                                                       桑島孝之


私が助手を辞めたとき、頂いた給料袋に入っていた手紙です。

私は「丸善」の写真集売り場に入り浸ってました。
それでふざけて、こんな肩書きをつけらました。
当時もっとも活躍華々しかった写真家は篠山「紀信」氏だった。
カメラ雑誌連載の指導記事のための原稿用紙を使ってます。

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