パンソリ(판소리)
東洋文庫
1982年5月10日 初版第1冊発行
訳注者 : 姜漢永 田中明
発行者 : 下中邦彦
発行所 : 平凡社
目次
春香歌 (春香ものがたり) 1
沈睛歌 (沈睛も の が た り) 89
兎髓歌 (兎とすっぽん の話) 155
朴打令 (ノル ボ と フ ン ボ) 209
解説 姜 漢永 303 ~ 326
まえがき より一部引用
(前略)
パンソリが賤民階級の広大や妓生によって唱われてきたということが、パンソリ=低級文化という通
念を生み、それが人々の目をパンソリからそむけさせてきたのであろうか。パンソリが学界で研究対象
にされ、文学史にも登場するようになったのは、やっと解放後のことであり、活発な論議が現われ出す
のは、七〇年代に入ってからである。
(中略)
ここで付言しておきたいことは、パンソリにも民族分断という悲劇が蔽いかぶさっていることである。
前述のように、南の韓国(大韓民国)では、パンソリを民族固有芸能として尊重する気運が高まってきて
いるが、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の方では、支配階級 (両班)の玩弄物という理由で否定され
ている。
確かにパンソリは、流行に向かうとともに、両班のパトロンも現われ、そのために、彼らの嗜好に
合わせて辞説の"洗練"が図られたり、道学的な内容が盛り込まれたりしたのは事実である。パンソリが
庶民と両班双方の要求に応えようとする性格をもっていることは、パンソリの二元性として、韓国の少
壮学者によって論ぜられてもいる。しかし、そのことが、民衆生活に基盤をおいたパンソリの基本的性
格というものを変質させたとは思われない。分断が、こうした民族遺産を圧殺してしまわないことを、
隣国の民としては望みたい。
もう一つ付記しておきたいことは、原本に見られる身体障害者に対しての差別意識についてである。
これはもちろん克服さるべきものであるが、本書では、こうした意識も、制作当時の社会風潮を反映す
るものであり、毒は毒として原文通り訳出していることをお断りしておく。
一九八二年 四月
田中明
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解説 より一部引用
五、文学としてのパンソリ
パンソリは、朝鮮民族の恨を表出した総体と言ってよいだろう。支配階級である君主と両班たちにも、
彼らなりに恨はあり、被支配者である庶民にも、彼らなりの恨がある。とくに人権を無視され生活の方
途もなく社会の最下層でその日暮らしをつづけていた賤民にとって、恨とは、一つの宿命と同義語であ
った。
支配階級の恨は、葛藤と恐怖から由来するものが多く、呪詛と物理的対決に訴えて生死を決するのが
彼らの対策であった。庶民の恨は、生存と幻想的理想にその根があり、諦念と妥協によって恨から解脱
しようとし、明日に希望と生き甲斐をかけるのが常であった。
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韓国映画
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