冬の真夜、神戸駅前で段ボール満載のリヤカーを引いている老人と話をしたことがある。 夜通し働いて昼間は公園で寝ているという。 「警官に嫌な目にあわされたことない?」私は尋ねた。 「とんでもない。近くに交番があるが、そこのお巡りさんいつも親切にしてくれるよ。」 という。 私は一瞬耳を疑った。そして深く反省した 西成の警官の悪行の数々を知って以来、警察官一般を私は「ポリ公」と呼んでいたのである。 大変申し訳なく感じた。以後、「ポリ公」は西成署の警官にしか使わないことにした。 1988年
1961/08/18 釜ヶ崎事件の主役逮捕-山田組組長 1990/08/03 収賄容疑で逮捕-西成署の巡査長 贈賄容疑で逮捕-赤井組組長 贈賄容疑で逮捕-是木組幹部 上記の四人に対して下りた刑を知りたくて、大阪の裁判所に寄った。 裁判の記録は検察庁に送られていると教えられて検察庁へ行った。 受付で用件をいうと 「ケンバンは分かってますか?」という。 「---? いいえ」と答えると 事件課の記録係に行くようにと教えられた。 記録係の係官は「なぜ調べるのか?」と訊く。 「個人的に知りたいだけです」とこたえた。 「ここは、サービス機関ではないのでいちいち教えられない」という。 「国民として知る権利がある。」と私はいった。 するとプライバシーの問題を云々する。 レイプ事件を引き合いに出す。あほらし。 私が知りたいのは逮捕者に下りた刑だ。 私は知る権利を強調した。 「事件番号がわからないと教えられない」という。 「逮捕された日付はわかっているのだから、調べればわかるはずだ。」 「順序をふんでもらわないと教えられない」という。 「西成署で事件番号を聞いてきてくれ」という。 男に名前をたずねた。「中島」と答える。 フルネームをたずねた。「それはいえない。」という。 西成警察署では、険悪な雰囲気になることを予想した。 うるさく詮索されるだろうと覚悟した。 怒鳴られるかもしれないとも思った。 私に応対したのは、知能犯係の刑事だった。 予想に反して親切だった。 検察庁の係官の対応に首を傾げていた。 61年の山田組組長の書類は「37年もたっているので、ないのではないかな?」 といって部屋を出ていった。しばらくして鍵をもって戻ってきた。 棚のケースを鍵で開けて二人がかりで書類を調べてくれた。やはりなかった。 書類は検察庁に送られているとのことだった。 90年の贈収賄事件の件は「うちの者が悪いことをしたので、うちで取り調べは できないです。たぶん本部がしたと思う。」といった。 本部に問い合わせたらいいと電話番号と府警本部の場所を教えてくれた。 事件番号は検番というのが正式の呼び名であることも教わった。 ていねいに礼をいって辞した。 府警本部に電話した。検番を教えてもらえるかたずねた。 「前例がないので教えられない」という。 知る権利を強調したが無駄だった。 検察庁と府警本部の対応が冷淡だったので、よけい西成署の親切な対応が心に残った。 私に親切に対応してくれた刑事は釜ヶ崎の日雇い労働者に対しても親切だろうか。 西成署の組織腐敗にたぶん心痛めているだろうと思うことにした。 以後、西成署の警官を「ポリ公」と呼ぶことは止めた。 1998年4月16日