私が星野村に移住した本当の理由(6)


写真講座

そして村の中央公民館で写真講座が始まった。昼の時間帯でお年寄りの女性7人と教育長
が受講生として参加した。講座の担当者は私を桑島先生と紹介した。「先生と呼ばないで
ほしい。先生ということばは私は嫌いです。」といった。が担当者は先生ということばを
止めようとしなかった。3度止めてほしいと頼んだが聞き入れなかった。彼は私を蔑み
ながら先生と呼んでいるのを感じた。先生と呼ばれたくない人間がいることは彼には信じ
れなかったに違いない。ここは田舎なんだと思いしらされた。

私はいった。
 「私は子どもに写真を教えたかった。子どもは半人前、大人になって一人前、ではないのです。
子どもには豊かな感受性や想像力が備わっています。子どものその優れたものを周りの大人たち
により駄目にされたのが私たち大人なのです。 子どもは興味をもって打ち込んだら皆天才です。
その天才たちに私は写真を教えたかった。」

この人なにをいってんだ! そんな雰囲気だった。
知ってる写真家の名前を訊いた。誰も知らなかった。担当者が答えた「赤瀬川 原平」。
「ラルティーグ少年」について簡単に語り、作品を観せた。反応がなかった。

ユーサフ・カーシュ(Yousuf Karsh)の写真集を2冊持参してきた。ソフィアローレン、アランドロン、
エリザベステーラー等俳優その他の歴史上の有名人の写真を多数見せた。全く反応がない、ヘレンケラー
の名前さえ皆さんご存じなかった。私が農業についてまったく無知なのと一緒なのかもしれない。

葉巻を取り上げられたチャーチルが恐い顔でカーシュを睨みつけた瞬間をすかさず撮ったあの有名な逸話を
語ったがだれも関心を示さなかった。

  .....  ..... 

こんな話もした。
昔、神戸にいた時、小中高校生の全国絵画展を観にいったことがある。小学生の絵の質の高さに驚いた。
自由でのびのびとしていた。すばらしいと感じる作品が多かった。中学生、高校生の絵は型にはまった
つまらない絵ばかりに私には思えた。再度小学生の絵を観て気がついた。暗い絵や寂しい絵がなかった。
審査員の問題なのか、美術指導者の問題なのか。子どもは明るくなければならない。明るい子どもはいい
子。暗い子どもは良くない子。そんなレッテルで子どもを見ている大人への疑問を述べた。なんの反応も
なかった。さみしいとき、悲しみに沈んでいるときにも、いえ、そういう時こそ子どもたちに絵を描いて
ほしいと思う。

名作鑑賞にも私の話にも興味がなさそうだった。次回から受講生の撮った写真を見せてもらうことにした。
持参した写真を一枚づつ私なりに感想を述べた。そして3回の写真講座は終わった。 
  

私の心に強く残っている芸術論を紹介します。高1年の時の私の愛読書でした。

有島 武郎「惜みなく愛は奪う」より ..........

 
       一人の水夫があって檣の上から落日の大観を擅ままにし得た時、この感激を人に伝え得る
     よう表現する能力がなかったならば、その人は詩人とはいえない、とある技巧派の文学者は
     いった。然し私はそうは思わない。その荘厳な光景に対して水夫が感激を感じた以上は、そ     
     の瞬間に於て彼は詩人だ。何故ならば、彼は彼自身に対して思想的にその感激を表現してい
     るからだ。 
       世には多くの 唖の芸術家がいる。 彼等は人に伝うべき表現の手段を持ってはいないが、
     その感激は往々にして所謂芸術家なるものを遙かに凌ぎ越えている。 小児ー彼は何という
     驚くべき芸術家だろう。彼の心には習慣の痂が固着していない。その心は痛々しい程にむき
     出しで鋭敏だ。私達は物を見るところに物に捕われる。彼は物を見るところに物を捕える。
     物そのものの本質に於てこれを捕える。そして睿智の始めなる 神々しい驚異の念にひたる。
     そこには何等の先入的僻見がない。これこそは純真な芸術的態度だ。


檣(ほばしら)  擅まま(ほしいまま) 然し(しかし) 
所謂(いわゆる) 痂(かさぶた) 神々しい(こうごうしい)