森 集 会



著者;笠原芳光 ....春秋社 1993年9月30日 初版

目次

「まえがき」より抜粋 

題して「宗教の森』という。ここで題名に関連してのべておきたいのは、著者が 一九五七年から 「森集会」 という集まりを主宰していることである。 神戸市の 本山町森というところで開始したため、その名をつけたのだが、「森」という名称 は地名にとどまらない意味をもっているようにおもう。 集会は毎日曜日の午前に 芦屋市民センターの一室を借りておこなっている。「聖書』を解読して話しあうだけ の簡単な集まりだが、教会でも宗教団体でもないから、『聖書」をテキストにして 現代の人間の問題を探究するのが目的である。儀礼はおこなっていない。 いわば古典の一冊として『聖書』を読んでいるのだが、なぜかそのような試みは 世上あまりなされていない。「聖書』は一般にもキリスト教の教典と思われているか らであろう。しかし『聖書』、とくに『新約聖書」が作られたのは、1世紀のイスラ エルにイエスという人物がいて、その言行が人々に新しい宗教的な感動をあたえ、 救済をもたらしたからである。イエスは当時の宗教からも政治からも自由な人間で あったが、死後、ユダヤ教で待望されていたメシヤ、すなわちキリストであるとさ れて、おもにその観点から多くの伝承や伝説がつくられ、それらが「新約聖書』、と くに福音書に記述された。『聖書』の表層におけるイエスはキリスト、神の子、神の 啓示とされた存在である。しかし『聖書』の深層には、あるいはその彼方にはキリ ストならざるイエスが存在している。それを発見することによって現代に生きるわ れわれの示唆にしたいとねがっている。 著者は年来,宗教の止揚や匿名化ということを主張してきた。 それは形態としての宗教よりも内実としての宗教性を重んずる立場である。 著者は有神論者でもなけな無神論者でもない。およそ神とは客観的な存在ではなく関係的 な存在である。いや存在ではなく関係である。神は問題性であり、人間の究極の問題である。

私が森集会に参加させて頂いたことを語るのは気がひけますが、、、 30数年前に2年ほど参加させていただきました。  芦屋市民センターで日曜の朝10時から11間半、 でしたか。 当時100円だったと思いますが、 それが参加費でした。 笠原先生も100円お出しなさった記憶があります。 芦屋市民センターの教室使用料にあてるお金です。 年末、年始除いて休みなく開かれていました。 平常の森集会の参加者は当時10名前後でした。 1985年2月現在の「森集会出席者名簿」が手元にあります。 参加者30名 住所:名張、大津、奈良、京都、宇治、豊中、 東大阪、大阪、吹田、西宮、芦屋、神戸、洲本、明石。

「来るものは拒まず、去るものは追わず」笠原先生の基本姿勢です



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笠原芳光先生

私が参加させていただいた時、外典「トマスの福音書」の講義がありました。
私には超難解でした。不思議に少しも退屈しなかった。
わからないけれど興味深かった。



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森集会を終えて喫茶店へ行く途中

笠原先生はカバンを携えてますが、以前は風呂敷を愛用されてました。
風呂敷包を持った笠原先生のポートレートをスタジオで撮りたかった。
ご多忙中、お願いするのは恐れ多い気がして、、、


喫茶店にて

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森集会の後の喫茶店で雑談を聞くのは楽しみだった。



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忘年会 

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喫茶店での会話も忘年会の会話も私は全く覚えていない。
楽しかった記憶はつよく残っています。


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年に一度、一泊の合宿がありました。
笠原先生と交友関係のある思想家を招いて講演していただきました。


加藤周一氏

1987.5.10

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鶴見俊輔氏


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森集会参加者の中に、脳死状態から復帰した若い女性がいました。
話すことが困難だと聞かされていました。
喫茶店の雑談に参加されていませんでした。
彼女はその後どうなさっているでしょうか。
ときたまふっと思い出します。



神戸から参加者は私を含めて4名でした。
4名は神戸YWCAで先生の講座の受講生でした。
その関係もあり仲良くさせていただきました。
根暗な私の心を癒してくださいました。



笠原先生の講義の中で私の心に鮮明に残っている言葉があります。
「あれほど自由なイエス」 






笠原先生の著作「宗教の森」の一部をご紹介します。

手塚治虫の「ブッダ」

    (前略) ブッダの史実は定かでないためもあって、この漫画にはかなりのフィクションが織り まぜてある。だが、ブッダの教えはよく伝えられている。巻の終りに近く、霊鷲山にお いてブッダは人々に説く。 「いつも私はいっているね。この世のあらゆる生きものはみんな深いきずなで結ばれて いるのだと。人間だけではなく犬も馬も牛も虎も魚も鳥も,そして虫も,それから草も 木も。命のみなもとはつながっているのだ。みんな兄弟で平等だ。おぼえておきなさい。」 これは仏教の根本であり、同時に、いま世界が必要としている思想である。

「霊鷲山」は 「りょうじゅせん」 とルビが振られています。 春秋社 1993年 初版


 2018.10.1