金山神社 (星野村指定文化財史跡) 御祭神 大山祇命金山彦命 由緒 元もとこの地に祀られていた山神が藩侯の命に より正保二(1645)年、金山守護社として創 建されました。享保五(1720)年再興、同七 年藩候の筆による「金山大明神」と社額が掲げ られました。 星野の金山は公安三(1279)年正月三日夜、星野胤実が 霊夢の中で神託を受け、小室谷付近で金鉱を発見(「星野家譜」) といわれてますが、資料的裏付けはなく伝説の域を出ません。 江戸時代の寛永二(1625)年以降は諸資料に再三登場し、 享保年間(1716-1725)に最も隆盛し、山人数も4000人を超え 何品にても商売物ありという賑わいをみせました。 |
星野村史 目次 |
昭和12年より6年間、日曹鉱業(星野金山進出の4大企業の一つ)の 経理社員だった女性から以下のことを伺いました。 削岩機の導入により鉱夫たちは若い人を含めて鉱肺で 10年を経ずに次々と死んでいった。 参考資料 国学院大学、民俗学研究会刊 「民俗採訪 福岡県八女郡星野村」五十五年度(年刊) 坑道の最先端では、岩石の粉が舞わないようにウォーターの出る削岩機を 使っていたが、衛生のことも考えず、ウォーターをとめて能率を上げようと したので、当時、それをやっていた人はほとんど肺をやられて(鉱肺)、 今では生存している人はほとんどいない。 |
-------------------------------------------------------------------------- 鉱塵と坑夫の健康 大阪朝日新聞 1916(大正5) .3.9 吾人は彼らの死亡率を見る毎に慄然として肌に粟を生ずるを禁じ得ないのである 日鉄鉱業さん、これは肺ですか? ヨロケより怖ろしいものが世の中にあらうか。皮膚の色は青黒く変り、吐き出す痰は墨のやうに黒く、 そして歩くたびに身体はヨロヨロと揺れ、さうして 会社からも政府からも何の扶助もなく、結局のたれ死んでしまう。 これがヨロケ病である。しかもそのヨロケには四、五年以上坑内で働く者は、必ずかかるのである。 (1925年(大正14年)発行の出版物「ヨロケ=鑛夫の早死はヨロケ病」より) よろけ じん肺 坑内労働に従事する大工や掘子たちは、ほとんど必ず珪肺病にかかり、30歳を過ぎるころには 廃人のようによろよろ歩き、やがて血へどを吐いて死んだ --------------------------------------------------------------------------