こんな夢を見た
近隣の人が亡くなったと知らせてくれた人に「お通夜はいつ?」
と聞こうとするが、「お通夜」という言葉が出てこない。
そこで目が覚めた。目が覚めても言葉が出てこない。
夕方、紙に葬儀と書くと、ふっと「お通夜」が出てきた。
16日(金)..公立八女総合病院に入院。
玄関入ったところの案内掲示板
病院職員は皆マスクをしていた。
ディルーム(談話室)などが閉鎖されていた。
院内感染防止が徹底していた。
4人部屋でした。部屋に手洗い設備があり、ありがたかった。
日曜日に入院、月曜日に手術そして退院の方が多いようです。
白内障手術の方でしょう。
4人部屋を3日間ほど独占してました。
本来なら私も日曜日に入院なのです。
山村住まいの私に不都合がありました。
バス停まで乗合タクシー利用なのですが、
あいにく土日は乗合タクシーは休み。
で、鶴丸医師の計らいで金曜日入院に
していただきました。
転倒防止に入院患者は運動靴を履くことをすすめられています。
17日(土)
テレビも読書も気が乗らなかった。
そこで、持参した安価な愛用カメラ Nikon Coolpix A300 で
気分転換、気晴らしにいろいろ撮ってました。
私の退院後、「院内での撮影は禁止」そんな張り紙が貼られるのでは
そんなことを思いながら撮影してました。
18日(日)
日曜日はシャワー室は閉鎖なのですが、
明日、手術ということで看護師さんから特別にシャワーの許しを得ました。
夜、看護師さんに手術のために、まつ毛をハサミでカットされました。
19日(月)白内障、網膜上膜の手術
目の手術患者が10人おられたようです。
私は5人目で12時半からの手術でした。
頭にキャップをし、首に赤いシールを貼られました。
手術は左目。間違わないための目印です。
手術室へは車椅子に乗って移動です。
手術台の着いたら、真っ先に名札のバーコードを
スキャナーで読み取られました。
二重、三重のチェックがとても印象的でした。
そして手術が始まりました。
非常に緊張し腕に力が入っている自分を意識してました。
ある間隔で血圧計が作動しているのが右腕に感じました。
何度も鶴丸医師は「桑島さん」と呼びかけ説明がありました。
そして「桑島さん、大丈夫ですか?」とも何度か声かけしていただきました。
私ははっきりした声で「大丈夫です」と答えた。
この呼びかけ、説明が私の気持ちを軽くした。
緊張の中にも心地よさがあった。
痛みというほどの痛みはなかった。
強いて言えば、網膜に張り付いている膜を取り除いている時では
ないかと(かってな素人判断ですが)、 2、3回の軽い痛みがあった。
それのみが記憶に残っている痛みです。
あっという間に手術は終えた。そんな印象でした。
私には20分ぐらいに思えました。
看護師さんに聞いたら「40分」とおっしゃった。
白内障手術に10分、網膜上膜手術に30分のようです。
驚きました。鶴丸医師は凄腕だと思った。
網膜上膜手術は90分ほどかかることはネットで知っていた。
そして車椅子で部屋に戻りました。
昼食が運ばれてき、美味しくいただきました。
痛みなく、普段と変わりない体調です。
1週間は安静の注意書きがありました。
夕方にはカメラを手にうろちょろし、撮影をしてました。
看護師さんから、注意を受けることはありませんでした。
20日(火)
早朝に眼帯を外されました。ガーゼを通して光を感じました。
診察時にガーゼを外されました。
2018.3.20.. 9:45
まぶしいほどの明るさだった。
カメラの絞りを2段開けたほどに明るさだった。
右目の4倍ほどの明るさ、そして青白かった。
タングステン電球から蛍光灯(昼光色)に変わったときのように青白かった。
部屋に戻りガラス窓から曇り空を見上げたら、左目は青空に見えた。
夕刻には1段半、翌朝には1段、そして、だんだんと右とかわらない明るさになった。
22日(木)..退院の日。
退院時間は朝10時が規則。
私の事情を考慮して、昼食を終えてから退院
という優しい配慮を看護師さんがして下さいました。
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